
「縁ある人を幸せにすること」。 原理原則を知れば、人生が変わる。経営が変わる。
施術業界を明るくする治療家インタビュー。
icureテクノロジー株式会社 浜口氏にこの業界の仕事を目指したきっかけや、過去の経験についてお話を伺いました。

私は、小さいころはコンプレックスの塊でした。
母が病気がちだったので、小さな居酒屋を営んでいた祖母に育ててもらいましたが、女だけの家庭で育ったこともコンプレックスの一部になっていたのだと思います。
小学校5年生の時に柔道を始めたのは、その「コンプレックスを払拭したい」という思いと、「男の自分が強くならなければいけない」と思いからでした。
中学校に進学した際、柔道部に入りましたが、柔道部の先輩たちは全国でベスト8に入るほどの強豪揃いでした。
強豪校だけあって、毎日の練習はとてもハードなので、私は柔道部を止めたくて仕方なかったんですが、止めることは許されない雰囲気でしたね。
イヤイヤでも続けているうちに5人の団体戦のレギュラーになれましたが、私は常に4番手で、上位の3人には敵いませんでした。
「四天王」という言葉がありますが、「四天王」ではなく「三羽烏」とその三人は呼ばれていました。
つまり私は入ってないんです。3番と4番にはそれほどの格差がありました。
そのような環境が、小さい頃からのコンプレックス癖を呼び覚ますことになって、とてもマイナスな思考に陥りました。
今思うと、強豪校のレギュラーになれるということは、ある程度の力がないとなれないし、その力をちゃんと評価してもらっているということなんですが、当時は とてもそんな風には思えなかったですね。

ところが、中学3年生の夏に大阪の全国大会予選で個人2位になったんです。
もちろん、優勝は三羽烏の一人で後の二人も体重別の階級で1位と2位でした。
その時に初めて自分の強さに気が付き、もっと練習しておけば良かったと後悔するとともに、「悔しい」という感情も初めて芽生えました。
そして、「高校生になったら必ずインターハイに行くんだ」と決心し、高校進学後は、一心不乱に練習に励みました。 その結果、優勝候補NO1と評判になるくらいに力をつけましたが、決勝戦で負けてしまい、また2位でした。
そして大学に進学し、当然、柔道部に入るんですが、そこでも同級生が全国制覇するんですよ。
私の同級生には、シドニーオリンピック100kg超級で銀メダルを獲得した篠原真一さんが天理大学にいた時代でもありました。
関西大会の決勝でも、全国大会の決勝でも天理大学と当たるんですが、私の大学が毎回勝ってましたね。それほど強い大学だったんですよ。そんなレベルですから、練習の時ですら 全く仲間に勝てないんですね。
高校のときは、学校の中で自分より強いものはいないという環境だったのに、大学では誰とやっても勝てないんです。当然、面白くないわけですよね。そのうち腰を痛めてヘルニアと診断され、それを理由に早々に一年生で止めるという選択をしてしまいました。
今だからわかるんですが、柔道していて腰を痛めるということはよくあることで、ちゃんとした治療とリハビリをやれば復帰できたんですが、精神的にマイナスに傾いてたんですね。どうしてもその場から離れたくて仕方ありませんでした。
柔道を止めたということが、その後の人生の大きな転機となるとは思ってもみませんでした。
子どもの頃から柔道一筋で生きてきたため、生活から柔道がなくなってしまって、一瞬の解放感はあったものの、毎日何をしていいのかわからなくなってしまいました。
頑張っている人が眩しく見えて仕方なかったです。

そのままアルバイトしながら、遊びながら、生産性もない大学生活を3年間送ってしまいましたが、
このままじゃダメだと思い、社会人で一からやり直すため、大阪府警に入ったんです。
警察に入る前に警察学校に半年行くのですが、警察学校では、かなり鍛えられましたね。
危険な場面にも遭遇する仕事なので、苦しい訓練を乗り越えないと警察官にはなれないという意図があるんだと思います。
また、警察学校では、「体力検定」というものがあり、100M走、1500M走、ソフトボール投げなど5種目あるんですが、その体力検定で1番になりました。生まれて初めての1番ですよ。
今まで1番になった事がなかったので、嬉しく、自信がもてましたね。
体力検定で1番になった結果、SAT(特殊急襲部隊)に配属になりました。
人とは違う経験が出来ると思い、SATへの配属は正直ワクワクしました。
先輩や同僚からは「ご愁傷様」って言われましたけど(笑)
「SATでくじけても警官に向いてないわけじゃないから辞めるなよ」など、配属になる前から
いろいろと心配されましたが、私は楽観的にとらえてました。
しかし、警察学校でも心身が追い込まれるような訓練を受けましたが、SATの訓練は次元が違うんですよ。

合言葉が「One Shot,OneKill」ですから。
「一撃必殺」という意味ですが、そこに「成功は失敗の元」という概念はなく、「失敗したら死ぬ。
一回で成功しなくてはだめだ」という世界ですね。
一般の世界では「練習時には失敗してもいいよ」と言われますが、SATでは、「失敗したら死ぬのだから 絶対失敗は許されない。ダメなんだ。」と教えられますので、訓練で失敗すると、とても厳しいペナルティを課せられるんです。
例えば、訓練の始めに失敗すると、もうその日は訓練を受けられず、朝から夕方まで一日中拳立て伏せです。それが嫌だから、訓練中は死ぬ気で頑張ってましたね。
精神的に追い込まれた状態で力を発揮できるということが大事なので、凄いプレッシャーをかけられた状態で訓練をさせられます。ビクビクして緊張して力が出せませんでしたというのでは、現場では死にますからね。
そんな過酷な訓練の毎日ですから、辞めていく同僚は少なくありませんでした。
私は柔道を途中で止めてしまい、とても後悔したので、もう二度とあんな思いはしたくありませんでしたから、「絶対にリタイアしない」と心に決め、諦めることはありませんでした。
もし、大学時に柔道を途中で止めていなかったら、簡単にSATも辞めていたかもしれません。
その後、子どもの頃から独立して何かやるんだという気持ちを叶えるため、この業界に入りました。
柔道やってると、常にどこか怪我をしていて、痛いという状態でしたから、中学生の頃から整骨院のヘビーユーザーだったので、自然な流れでしたね。
当時、大阪でナンバー1と言われた会社に入社したんですが、周りの人からは「厳しい会社だよ」とか、「ハードな仕事だよ」など、色々心配されましたが、何とも思わなかったですね。
SATの訓練で、人は追い込まれると想像できない力を発揮できるということを学びましたし、その力を使えば、どんなことでも成果を出せると確信していましたから。

私は、最初から今のような人間だったわけではなく、子どもの頃はコンプレックスの塊だっだということなども含めて、過去の体験談は社員によく話をしています。
過去の体験談を話す意図は、「考え方が変われば人生は変わるんだ」ということを伝えたいからです。
なぜ、私は柔道の強豪校に中学・高校・大学と長きにわたって在籍していたのに、その強者たちから学ばなかったのか?
彼らと比べられてコンプレックスを感じるのではなく、強いものの強い原則を学んでいれば、人生は違う方向に行っていたかもしれません。
この業界では、誰もが早く技術を学びたいといいますが、同じ技術でも使う人間によって大きく変わるんですね。 自分自身のものごとの見方、とらえ方、考え方を成果を出している人と同じようにすることが、一番重要なことなんです。
世に名前を残している人や成果を出してる人の言っていることは、統合できるくらい同じこと言ってるんですよ。
それを「原理原則」というのですが、自分の考えを優先させるのではなく、その原理原則に寄り添う自分を創るっていうことを社員教育のテーマにしています。
この業界は、まだまだ技術ありきの世界ですが、私たちは技術の最高レベルを追及しながら、プラスアルファとして原理原則に従って行動していこういうことを常に伝え教えています。
例えば、本社ビルの建築デザインは、この業界を変えていきたいなという思いが込められてるんですよ。
見てもらえればわかりますが、業界の既成概念に捕らわれないようなオフィスにしています。 社員の憩いの場としてのカフェのようなスペースも作っています。
今まで通りの環境ではなく、仕事場の作り方ひとつにも「原理原則」を働かせているんです。 このオフィスにいるだけで、柔整師・鍼灸師+αの意識が働くんですよ。

「苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、本当にその通りだと思います。
私は意図的に苦労は買ってはいないんですが、一回きりの人生なので成功したいという気持ちがとても強かったので、その思いが、厳しい環境を引き寄せたんでしょうね。
どの世界でも、結果を出されている方々の多くは、とても大きな挫折を経験されている野ではないでしょうか。
あえて挫折することを選ぶ必要はないにせよ、成功するためには絶対通らないといけない道なのではないかと思います。
目指す山が高ければ高いほど、登る道は険しいですよね。
登れないと諦めてしまうのか、低い山に目標を変えるのか、登るための方法(原則)を見つける努力をするのか、その時にどういう選択をして次のステップに行くかがすべてだと思うんですよ。
何を選択するかで、人生の方向が大きく違ってきますからね。
私たちの選択の原理は、「縁ある人を幸せにすること」です。
そのための原則は先人たちが数多く残してくれていますが、将来的に私たちも原則を作れるよう熱い志を持って高い目標に向かってくれるスタッフたちと共に歩き続けていきます。
■会社情報
企業HP→https://icure-tech.co.jp
院HP→https://www.icure.co.jp/
icureテクノロジー株式会社 浜口氏にこの業界の仕事を目指したきっかけや、過去の経験についてお話を伺いました。
プロフィール
企業名 : iCureテクノロジー株式会社
役 職 : 代表取締役副社長 COO
名 前 : 浜口 大介
生年月日: 1972年12月16日
出身校 : 森ノ宮医療学園専門学校(柔道整復師2006年 / 鍼灸師2009年)
趣 味 : 筋トレ
役 職 : 代表取締役副社長 COO
名 前 : 浜口 大介
生年月日: 1972年12月16日
出身校 : 森ノ宮医療学園専門学校(柔道整復師2006年 / 鍼灸師2009年)
趣 味 : 筋トレ
~ 経歴 ~
2006年〜 あすなろ整骨院布施 院長
2009年〜 西梅田小林整骨院 院長
2012年〜 株式会社ピースラブ設立、ぴーす鍼灸整骨院 開院
2017年4月~株式会社SHIN9と株式会社ピースラブが合併、iCureテクノロジー株式会社に経営統合
2017年9月~ FCインテルナツィオナーレ・ミラノ(長友選手が在籍しているイタリアのプロサッカーチーム)と業務提携
※施術業界に入るまでは大阪府警の特殊急襲部隊SATに在籍
2006年〜 あすなろ整骨院布施 院長
2009年〜 西梅田小林整骨院 院長
2012年〜 株式会社ピースラブ設立、ぴーす鍼灸整骨院 開院
2017年4月~株式会社SHIN9と株式会社ピースラブが合併、iCureテクノロジー株式会社に経営統合
2017年9月~ FCインテルナツィオナーレ・ミラノ(長友選手が在籍しているイタリアのプロサッカーチーム)と業務提携
※施術業界に入るまでは大阪府警の特殊急襲部隊SATに在籍
子どもの頃から独立する、と決めていた。

私は、小さいころはコンプレックスの塊でした。
母が病気がちだったので、小さな居酒屋を営んでいた祖母に育ててもらいましたが、女だけの家庭で育ったこともコンプレックスの一部になっていたのだと思います。
小学校5年生の時に柔道を始めたのは、その「コンプレックスを払拭したい」という思いと、「男の自分が強くならなければいけない」と思いからでした。
中学校に進学した際、柔道部に入りましたが、柔道部の先輩たちは全国でベスト8に入るほどの強豪揃いでした。
強豪校だけあって、毎日の練習はとてもハードなので、私は柔道部を止めたくて仕方なかったんですが、止めることは許されない雰囲気でしたね。
イヤイヤでも続けているうちに5人の団体戦のレギュラーになれましたが、私は常に4番手で、上位の3人には敵いませんでした。
「四天王」という言葉がありますが、「四天王」ではなく「三羽烏」とその三人は呼ばれていました。
つまり私は入ってないんです。3番と4番にはそれほどの格差がありました。
そのような環境が、小さい頃からのコンプレックス癖を呼び覚ますことになって、とてもマイナスな思考に陥りました。
今思うと、強豪校のレギュラーになれるということは、ある程度の力がないとなれないし、その力をちゃんと評価してもらっているということなんですが、当時は とてもそんな風には思えなかったですね。

ところが、中学3年生の夏に大阪の全国大会予選で個人2位になったんです。
もちろん、優勝は三羽烏の一人で後の二人も体重別の階級で1位と2位でした。
その時に初めて自分の強さに気が付き、もっと練習しておけば良かったと後悔するとともに、「悔しい」という感情も初めて芽生えました。
そして、「高校生になったら必ずインターハイに行くんだ」と決心し、高校進学後は、一心不乱に練習に励みました。 その結果、優勝候補NO1と評判になるくらいに力をつけましたが、決勝戦で負けてしまい、また2位でした。
そして大学に進学し、当然、柔道部に入るんですが、そこでも同級生が全国制覇するんですよ。
私の同級生には、シドニーオリンピック100kg超級で銀メダルを獲得した篠原真一さんが天理大学にいた時代でもありました。
関西大会の決勝でも、全国大会の決勝でも天理大学と当たるんですが、私の大学が毎回勝ってましたね。それほど強い大学だったんですよ。そんなレベルですから、練習の時ですら 全く仲間に勝てないんですね。
高校のときは、学校の中で自分より強いものはいないという環境だったのに、大学では誰とやっても勝てないんです。当然、面白くないわけですよね。そのうち腰を痛めてヘルニアと診断され、それを理由に早々に一年生で止めるという選択をしてしまいました。
今だからわかるんですが、柔道していて腰を痛めるということはよくあることで、ちゃんとした治療とリハビリをやれば復帰できたんですが、精神的にマイナスに傾いてたんですね。どうしてもその場から離れたくて仕方ありませんでした。
柔道を止めたということが、その後の人生の大きな転機となるとは思ってもみませんでした。
子どもの頃から柔道一筋で生きてきたため、生活から柔道がなくなってしまって、一瞬の解放感はあったものの、毎日何をしていいのかわからなくなってしまいました。
頑張っている人が眩しく見えて仕方なかったです。
One Shot,One Kill~失敗は許されない

そのままアルバイトしながら、遊びながら、生産性もない大学生活を3年間送ってしまいましたが、
このままじゃダメだと思い、社会人で一からやり直すため、大阪府警に入ったんです。
警察に入る前に警察学校に半年行くのですが、警察学校では、かなり鍛えられましたね。
危険な場面にも遭遇する仕事なので、苦しい訓練を乗り越えないと警察官にはなれないという意図があるんだと思います。
また、警察学校では、「体力検定」というものがあり、100M走、1500M走、ソフトボール投げなど5種目あるんですが、その体力検定で1番になりました。生まれて初めての1番ですよ。
今まで1番になった事がなかったので、嬉しく、自信がもてましたね。
体力検定で1番になった結果、SAT(特殊急襲部隊)に配属になりました。
人とは違う経験が出来ると思い、SATへの配属は正直ワクワクしました。
先輩や同僚からは「ご愁傷様」って言われましたけど(笑)
「SATでくじけても警官に向いてないわけじゃないから辞めるなよ」など、配属になる前から
いろいろと心配されましたが、私は楽観的にとらえてました。
しかし、警察学校でも心身が追い込まれるような訓練を受けましたが、SATの訓練は次元が違うんですよ。

合言葉が「One Shot,OneKill」ですから。
「一撃必殺」という意味ですが、そこに「成功は失敗の元」という概念はなく、「失敗したら死ぬ。
一回で成功しなくてはだめだ」という世界ですね。
一般の世界では「練習時には失敗してもいいよ」と言われますが、SATでは、「失敗したら死ぬのだから 絶対失敗は許されない。ダメなんだ。」と教えられますので、訓練で失敗すると、とても厳しいペナルティを課せられるんです。
例えば、訓練の始めに失敗すると、もうその日は訓練を受けられず、朝から夕方まで一日中拳立て伏せです。それが嫌だから、訓練中は死ぬ気で頑張ってましたね。
精神的に追い込まれた状態で力を発揮できるということが大事なので、凄いプレッシャーをかけられた状態で訓練をさせられます。ビクビクして緊張して力が出せませんでしたというのでは、現場では死にますからね。
そんな過酷な訓練の毎日ですから、辞めていく同僚は少なくありませんでした。
私は柔道を途中で止めてしまい、とても後悔したので、もう二度とあんな思いはしたくありませんでしたから、「絶対にリタイアしない」と心に決め、諦めることはありませんでした。
もし、大学時に柔道を途中で止めていなかったら、簡単にSATも辞めていたかもしれません。
その後、子どもの頃から独立して何かやるんだという気持ちを叶えるため、この業界に入りました。
柔道やってると、常にどこか怪我をしていて、痛いという状態でしたから、中学生の頃から整骨院のヘビーユーザーだったので、自然な流れでしたね。
当時、大阪でナンバー1と言われた会社に入社したんですが、周りの人からは「厳しい会社だよ」とか、「ハードな仕事だよ」など、色々心配されましたが、何とも思わなかったですね。
SATの訓練で、人は追い込まれると想像できない力を発揮できるということを学びましたし、その力を使えば、どんなことでも成果を出せると確信していましたから。
考え方が変われば人生は変わる

私は、最初から今のような人間だったわけではなく、子どもの頃はコンプレックスの塊だっだということなども含めて、過去の体験談は社員によく話をしています。
過去の体験談を話す意図は、「考え方が変われば人生は変わるんだ」ということを伝えたいからです。
なぜ、私は柔道の強豪校に中学・高校・大学と長きにわたって在籍していたのに、その強者たちから学ばなかったのか?
彼らと比べられてコンプレックスを感じるのではなく、強いものの強い原則を学んでいれば、人生は違う方向に行っていたかもしれません。
この業界では、誰もが早く技術を学びたいといいますが、同じ技術でも使う人間によって大きく変わるんですね。 自分自身のものごとの見方、とらえ方、考え方を成果を出している人と同じようにすることが、一番重要なことなんです。
世に名前を残している人や成果を出してる人の言っていることは、統合できるくらい同じこと言ってるんですよ。
それを「原理原則」というのですが、自分の考えを優先させるのではなく、その原理原則に寄り添う自分を創るっていうことを社員教育のテーマにしています。
この業界は、まだまだ技術ありきの世界ですが、私たちは技術の最高レベルを追及しながら、プラスアルファとして原理原則に従って行動していこういうことを常に伝え教えています。
例えば、本社ビルの建築デザインは、この業界を変えていきたいなという思いが込められてるんですよ。
見てもらえればわかりますが、業界の既成概念に捕らわれないようなオフィスにしています。 社員の憩いの場としてのカフェのようなスペースも作っています。
今まで通りの環境ではなく、仕事場の作り方ひとつにも「原理原則」を働かせているんです。 このオフィスにいるだけで、柔整師・鍼灸師+αの意識が働くんですよ。
挫折して止まるか?挫折してもさらに高みを目指し、歩き続けるか?

「苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、本当にその通りだと思います。
私は意図的に苦労は買ってはいないんですが、一回きりの人生なので成功したいという気持ちがとても強かったので、その思いが、厳しい環境を引き寄せたんでしょうね。
どの世界でも、結果を出されている方々の多くは、とても大きな挫折を経験されている野ではないでしょうか。
あえて挫折することを選ぶ必要はないにせよ、成功するためには絶対通らないといけない道なのではないかと思います。
目指す山が高ければ高いほど、登る道は険しいですよね。
登れないと諦めてしまうのか、低い山に目標を変えるのか、登るための方法(原則)を見つける努力をするのか、その時にどういう選択をして次のステップに行くかがすべてだと思うんですよ。
何を選択するかで、人生の方向が大きく違ってきますからね。
私たちの選択の原理は、「縁ある人を幸せにすること」です。
そのための原則は先人たちが数多く残してくれていますが、将来的に私たちも原則を作れるよう熱い志を持って高い目標に向かってくれるスタッフたちと共に歩き続けていきます。
■会社情報
企業HP→https://icure-tech.co.jp
院HP→https://www.icure.co.jp/