子供の頃に出会ったものが人生を決めた

子供の頃に出会ったものが人生を決めた

プロフィール

企 業 名:堺整骨院
名  前:堺 正孝
出 身 地:長崎県諫早市
生年月日:1960年2月
出 身 校:帝京大学
資  格:柔道整復師
趣  味:旅行、温泉

■簡単な経歴

長崎日大高校を卒業後、帝京大学の柔道整復科で学びながら、江戸時代から続く、骨折治療で有名な名倉整骨院の系列で、
切磋琢磨し、骨折のみならず、急性外傷等の技術を磨く、東京もしくは、長崎での開業を考えていたが、
知人の勧めもあり、当時は縁のなかった福岡に平成元年、整骨院を大橋に開業。
井尻にも2号店を出店し、平成15年には、大橋の整骨院の横に、整形外科も開業。
ここからデイケア等も手掛けていく。
その後、野多目にも整形外科、整骨院を出店し、現在も破られていない整骨院一院での来患数日本一を達成(870名/日)。
巨大医療グループとなった。
その為、部門を明確に分ける必要が出てきて、整骨院のみでグループ化。
今では整骨院の数も21院に増え、整骨院グループのみで、従業員数は300名以上、延べ来患450万人以上と
九州・全国で、圧倒的な実績を残しております。

子供の頃に出会ったものが人生を決めた

子供の頃、何になりたいかということはわからなかったんです。
ただ、漠然ときれいな女性がたくさん活躍している会社の社長になりたいという希望はありました。なぜだかわかりませんが、女性が活躍する社会を作りたいと、子供の頃から思っていました。

そして、小学二年生の時に「ベースボールマガジン」という雑誌に巨人の王貞治選手の特集をたまたま本屋で立ち読みしたときに人生の目的が明確になりました。
雑誌には、王選手のプライベートが載っていました。その中で、財布の中身も載っていて、当時の自分には想像できないほどの成功像でした。
私は、それを見て成功のイメージが明確になりました。
それ以来、大きくなったら、王選手のような成功を自分でも実現できるような仕事をやるんだと決めたので、おのずと職業の選択肢の幅は狭くなりました。

高校生の時に叔父から「柔道整復師という仕事があるよ」と教えてもらったのですが、ひょっとしたらこの仕事で自分の夢を実現できるかもしれないと思ったんです。
いい仕事だし、お客様にも感謝されるし、日本一患者さんが来られる整骨院を自分がつくるんだ…そうなれば収入もついてくるだろうって。
整骨院の仕事の実情を詳しく知らないのにそう思ったんですよ。
それで、東京の帝京大学の柔整学部に進学しました。
学校は夜間部でしたから、朝6時から17時までは、江戸時代から続く整骨院で、弟子として修行させてもらいました。
もちろん修行は365日です。卒業後もさらに3年間修行を続け、その後も5年間別の整骨院でも修行し、計10年修行をしました。
卒業後の8年間は早朝から夜中まで修行していました。
その時代はそれが当たり前でしたから、辛いという感覚はなかったですね。
今では、考えられないと思います。

平成元年、福岡で博覧会が開催されるということで、開催地が盛り上がっていたので、知人から福岡での開業を勧められ、東京から福岡へ移り住みました。
開業したときに掲げた目標が、子供の頃に描いた「日本一患者さんが来る整骨院」です。
当時の日本一は、東京の整骨院で1店舗360人でしたから、それを超えるということが目標でした。
一人で150人までは、できていたので360人は可能だと思ったんですよね。
高齢者の方向けに朝6時に院を開け、夜は部活の学生が来るので夜の12時までです。
当時の睡眠は、毎日4時間くらいだったでしょうか。
昼休みも取れなかったので、毎日栄養ドリンクでしのいでいました。
とにかく日本一患者様が来られる整骨院として目標達成のために、スタッフも増員していきました。35歳くらいまでそんなスタイルで続けましたが、360人になるまで12年かかりました。そして、いつの間にか870人の来院者となりました。
ただ、1日の来院数が870人という記録は、院側は達成感があるのですが、お客様にはどうだったか?という疑問が残りました。それだけの数になると、どうしてもお客様満足度というものは下がりますからね。それからは、もう記録更新は考えなくなりました。

女性スタッフは、スターとして活躍

私は、女性の活躍、子育て支援ということに重きを置いています。この業界では珍しいと思いますが、当社のスタッフの半分は女性なんです。
女性は男性と違った力を持っているので、女性の特性を活かして活躍してもらう「スター」という役割を創りました。
スターは、お客様満足係として、マーケティング活動や外での営業、院内でのお客様対応の仕事です。お客様に施術をするのではなく、お客様とコミュニケーションをとるフロアマネージャーのような役割なんです。
また、業務全般もすべて覚えてもらうので、施術のサポートも行えます。
さらに、女性のお客様にはカラーセラピーアドバイスなども行います。これはお客様へのサービスの一環ですね。
スターになれるスタッフは、採用の面接時から明るい感じで様々なことを話せる人です。
表現して、人を喜ばせるのが好きというタイプですね。
スターのおかげで、お客様とスタッフのコミュニケーションがうまく取れ、雰囲気の良い院つくりができています。

整骨院を地域医療の要に

当社には、ドクターと一緒に30年間かけて作り上げてきた「診断学」というものがあります。全て実践の積み上げで作ったものです。
この診断学に基づいて、施術する前に、一番危ない病気が潜んでいないかどうかを調べていくのです。
初診の時の問診ですぐに病院を紹介することもありますし、2回目の以降の来院で紹介する場合もあります。治すよりもまず見つけることが大事だと考えています。

例えば、「腰痛」ですが、この痛みは、どこからきている痛みなのか?骨や筋肉からか?内臓からか?疾患からか?感染からか?痛みの根本を見極めます。
痛みは身体のサインですから、その痛みが、赤信号なのか、黄色信号なのか、どんなサインなのかということを見極めることがとても大事なんです。
たとえ、千人の人を治しても、一人の患者様のサインを見落としして取り返しがつかなくなれば、私たちがやっている意味がありませんからね。施術していいかどうかの見極めが、本当に大事なんですよ。
スタッフには、できるだけ黄色信号の時に見つけることができるようトレーニングをしています。1%でも可能性があれば、病院で検査してもらい、何ともなければ骨や筋肉の問題なので、院で施術させてもらいます。
施術してもいい状態であれば、集中して手技が行えますし、お客様も安心して受けられるので、症状が改善するスピードが早いですね。

施術前の大事なステップを全国の柔整師ができるようになれば、お客様に喜んでもらえますし、痛みの元となっている治療ができる病院を紹介できます。その結果ドクターとの信頼関係もできます。
実は、整骨院の認知度は低く、国民の2割しか整骨院に関わったことがないんですよ。
全国のコンビニの数より整骨院の数は多いのですけれどね。
今後、5割くらいの人々に認知してもらい、病院よりも敷居が低く、健康保険が使え、安心していける地域医療の最初の窓口として活躍できるんじゃないかと思っています。

また、私たちの専門分野である外傷的な痛みを徹底的に追及し、お客様の困っていることを解決していく。そして今、怪我の処置ができる柔整師が少なくなってきているので、本来の役割である怪我の処置のスキルを高める啓蒙活動を広げていきたいと思っています。

「整骨院に行けば何とかなる」と、一人でも多くの人が思っていただける業界にしていきたいですね。

学生時代にやる大切なこと

1年生の時にお客様の多い整骨院を最低でも五か所くらい行ってみることです。
そして、こんな整骨院にしたいというイメージを明確に持ってほしいと思います。
自分の目指すものがないと、その通りにはなりませんから。
資格を取るということだけを目標にしてしまうと、卒業後には「給料が高い、時間が短い、福利厚生が充実している」という目線で就職してしまいます。
10年後、なんために資格を取ったのかということに気が付いた時には遅いんですよ。
若いころ、力を出さずに過ごしていくと、自分の真の目的に気が付いた時には走れなくなっているんです。バリバリ仕事ができるのは37・8歳くらいまでで、40歳すぎたら極端に体力に変化が現れてきます。だから無理がきくときに本当に命かけて一生懸命にやったほうがいいですね。若いころに自分の枠を広げていく少しきつめのトレーニングをすることが大事で、最初に楽をしてしまうと後できついですよ。

学生時代に30歳になった自分がどのような柔整師になっているのかをはっきりとイメージすることが、とても大切です。

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