
福岡SoftBank HAWKS 周東佑京選手 × 馬原孝浩 氏 スペシャルインタビュー【前編】
福岡ソフトバンクホークスの出世頭として期待されている <周東 佑京> 選手。
支配下登録された昨季、一塁到達タイムは3秒8とその俊足を武器に、2019年シーズンは102試合に出場、代走の切り札としてチーム最多の25盗塁を記録したほか、2019年秋の「プレミア12」でも果敢な走塁でチームに貢献。
日本中に大きなインパクトを与える1年となった。
ホークスの人気選手まで上り詰めた周東選手の夢を叶えるための「考え方・行動・継続」とは?
”スピードスター”周東選手の素顔に迫ります。
もっと上のレベルでやりたい。

馬原氏: 野球を始めたのはいつ頃からですか?もともと足が速かったのか?
周東選手:野球をはじめたのは小学校2年生です。小学校の野球少年団に入っていました。走りでいくと、周りに敵がいない感じでした。小学校の時は、野球をやりながら水泳もやっていて、本格的に野球に1本に絞ったのは中学にあがってからです。
馬原氏:そのなかで一番最初にプロを意識した時というのはいつ頃だったか覚えていますか?
周東選手:プロを意識したのは大学生の時。大学1年、2年生ぐらいです。
きっかけは、1年生の時から全国の大会に出たりというのもありましたが、
同じ大学の先輩がプロに入ったことが大きかったです。
それで僕も、この4年間はしっかり頑張ってプロになりたい!って気持ちになりました。もっと上のレベルでやりたいなって思ったんです。

馬原氏:なるほど。周東選手はもう誰が何と言おうと俊足が武器であり、魅力ですよね。
これは個人的な質問ですが、自分の身体の中でどこが一番筋力が突出してると思っていますか? 筋トレとかもしたりする?
周東選手:筋力ですか?(笑)筋トレするんですけど、僕の場合は下半身より上半身の方が強いです。下半身はそんなに重いおもりとかを持たず、軽い瞬発系のトレーニングを積極的に取り入れています。
馬原氏:いざ試合に出て重要なシーンの中、一点を争うところを代走で出ていって、
盗塁という期待を掛けられると思うんだよね、俺はなかったんだけど日頃おこなっているルーティンだったり”験を担ぐ”(げんをかつぐ)ということはしてるの?
周東選手:僕も基本的にはないですが、松田さん(松田宣浩選手)とか見ていたらスゴイなって思います。
いつも同じ時間に来て、同じトレーニングをして、その試合に行ったり。
馬原氏:プレミア12も経験して、超一流のトッププレーヤー達をずっと見てくると、それぞれにルーティンという行動が何かトップになればなるほど、拘ってやっている人が多いと感じます。実際に代表の場に行ってロッカールームでは感じたことはありましたか?
周東選手: やっぱり感じましたね。
いつも同じ事をやっている人はすごいそれを毎日繰り返す。
特に何もやってない選手もいましたけど、でも、すごいやっている選手はすごい
ブレないで毎日できるっていうのはすごいと思います。

馬原氏:今年、本当は東京オリンピック開催という年で、すごい思い入れも強かったんじゃないかなと思います。
キャンプ中、自主トレ中から代表に入りたいという思いは強かったんじゃないですか?
周東選手:そうですね。やっぱり1度代表に選ばれて、より上のレベルが知れたので、
その分、「もう一回あの場で、あの気持ちで立ちたい」と思い、今年は自主トレの前あたりからずっと感じていました。
馬原氏: やっぱりそうだよね。そこに照準を合わせていたから。
最後の一枠という所で色々とニュースで見たりはしていたけど。
実際に代表に入って、ホークスでやっている時と違った感覚というのはありますか?
周東選手:そうですね。何か、代表の時の方がすごい楽にできたっていう所がありました。
馬原氏:楽に??それはなんでだろう?
周東選手:何か、自分のチームでやっている時はしっかりやんなきゃいけない!という気持ちもありましたけど、代表にも選んでもらった時はすごく緊張もしましたが
いざ、試合になったらこの場に居れることが、すごいなんて言うんですか・・・
楽しかったんです。
やっぱりトップチームになるとレベルが全然違うなってすごい感じました。

夢だったプロの世界に飛び込んだ周東選手。
後半では周東選手の今後の目標についてお伺いします!
後編もお楽しみに!
後半へ続く
福岡SoftBank HAWKS 周東佑京選手 × 馬原孝浩 氏 スペシャルインタビュー【後編】
支配下登録された昨季、一塁到達タイムは3秒8とその俊足を武器に、2019年シーズンは102試合に出場、代走の切り札としてチーム最多の25盗塁を記録したほか、2019年秋の「プレミア12」でも果敢な走塁でチームに貢献。
日本中に大きなインパクトを与える1年となった。
ホークスの人気選手まで上り詰めた周東選手の夢を叶えるための「考え方・行動・継続」とは?
”スピードスター”周東選手の素顔に迫ります。
[PROFILE]
周東佑京(しゅうとう・うきょう)
1996年2月10日生まれ、群馬県出身。
179cm/66kg。
東農大北海道オホーツクから福岡ソフトバンクホークスに育成選手として入団。
一塁到達タイムは3秒8を計測。守備では内外野両方守れるオールラウンダー。
足が速いことから『侍フェラーリ』の異名を持つ。
趣味:お気に入りの曲を聴きながら夜の散歩
功績:
・プレミア12初優勝
・第2回WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選出。
初戦の対南アフリカ戦で公式戦初本塁打を記録
東京五輪で金メダルを目指す侍ジャパン入りを目指す。

[PROFILE]
馬原孝浩(まはら・たかひろ)
1981年12月8日生まれ、熊本県出身。
2003年福岡ダイエーホークスに入団し、ストッパーとして活躍し最多セーブのタイトル獲得。引退後は柔道整復師・はり師・きゅう師の国家資格を目指し専門学校へ通い2019年3つの国家資格を取得する。
現在は現役時代の経験と培った整体の知識を元に独自開発した馬原式メソッドで本物のトレーナー育成をするMAHARAトレーナーアカデミーの代表を務める。

周東佑京(しゅうとう・うきょう)
1996年2月10日生まれ、群馬県出身。
179cm/66kg。
東農大北海道オホーツクから福岡ソフトバンクホークスに育成選手として入団。
一塁到達タイムは3秒8を計測。守備では内外野両方守れるオールラウンダー。
足が速いことから『侍フェラーリ』の異名を持つ。
趣味:お気に入りの曲を聴きながら夜の散歩
功績:
・プレミア12初優勝
・第2回WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選出。
初戦の対南アフリカ戦で公式戦初本塁打を記録
東京五輪で金メダルを目指す侍ジャパン入りを目指す。

[PROFILE]
馬原孝浩(まはら・たかひろ)
1981年12月8日生まれ、熊本県出身。
2003年福岡ダイエーホークスに入団し、ストッパーとして活躍し最多セーブのタイトル獲得。引退後は柔道整復師・はり師・きゅう師の国家資格を目指し専門学校へ通い2019年3つの国家資格を取得する。
現在は現役時代の経験と培った整体の知識を元に独自開発した馬原式メソッドで本物のトレーナー育成をするMAHARAトレーナーアカデミーの代表を務める。

もっと上のレベルでやりたい。
”プロ野球選手”という職業を目標に決めた瞬間
ープロ野球選手になりたい。と決意し、走り続けた学生時代

馬原氏: 野球を始めたのはいつ頃からですか?もともと足が速かったのか?
周東選手:野球をはじめたのは小学校2年生です。小学校の野球少年団に入っていました。走りでいくと、周りに敵がいない感じでした。小学校の時は、野球をやりながら水泳もやっていて、本格的に野球に1本に絞ったのは中学にあがってからです。
馬原氏:そのなかで一番最初にプロを意識した時というのはいつ頃だったか覚えていますか?
周東選手:プロを意識したのは大学生の時。大学1年、2年生ぐらいです。
きっかけは、1年生の時から全国の大会に出たりというのもありましたが、
同じ大学の先輩がプロに入ったことが大きかったです。
それで僕も、この4年間はしっかり頑張ってプロになりたい!って気持ちになりました。もっと上のレベルでやりたいなって思ったんです。
ついに足を踏み入れたプロの世界
― 自慢の俊足を武器にプロの世界で躍動。

馬原氏:なるほど。周東選手はもう誰が何と言おうと俊足が武器であり、魅力ですよね。
これは個人的な質問ですが、自分の身体の中でどこが一番筋力が突出してると思っていますか? 筋トレとかもしたりする?
周東選手:筋力ですか?(笑)筋トレするんですけど、僕の場合は下半身より上半身の方が強いです。下半身はそんなに重いおもりとかを持たず、軽い瞬発系のトレーニングを積極的に取り入れています。
馬原氏:いざ試合に出て重要なシーンの中、一点を争うところを代走で出ていって、
盗塁という期待を掛けられると思うんだよね、俺はなかったんだけど日頃おこなっているルーティンだったり”験を担ぐ”(げんをかつぐ)ということはしてるの?
周東選手:僕も基本的にはないですが、松田さん(松田宣浩選手)とか見ていたらスゴイなって思います。
いつも同じ時間に来て、同じトレーニングをして、その試合に行ったり。
馬原氏:プレミア12も経験して、超一流のトッププレーヤー達をずっと見てくると、それぞれにルーティンという行動が何かトップになればなるほど、拘ってやっている人が多いと感じます。実際に代表の場に行ってロッカールームでは感じたことはありましたか?
周東選手: やっぱり感じましたね。
いつも同じ事をやっている人はすごいそれを毎日繰り返す。
特に何もやってない選手もいましたけど、でも、すごいやっている選手はすごい
ブレないで毎日できるっていうのはすごいと思います。
もう一度あの場所に立ちたい。思い描くオリンピック代表への道。
- 肌で感じた世界、トップとの違い。

馬原氏:今年、本当は東京オリンピック開催という年で、すごい思い入れも強かったんじゃないかなと思います。
キャンプ中、自主トレ中から代表に入りたいという思いは強かったんじゃないですか?
周東選手:そうですね。やっぱり1度代表に選ばれて、より上のレベルが知れたので、
その分、「もう一回あの場で、あの気持ちで立ちたい」と思い、今年は自主トレの前あたりからずっと感じていました。
馬原氏: やっぱりそうだよね。そこに照準を合わせていたから。
最後の一枠という所で色々とニュースで見たりはしていたけど。
実際に代表に入って、ホークスでやっている時と違った感覚というのはありますか?
周東選手:そうですね。何か、代表の時の方がすごい楽にできたっていう所がありました。
馬原氏:楽に??それはなんでだろう?
周東選手:何か、自分のチームでやっている時はしっかりやんなきゃいけない!という気持ちもありましたけど、代表にも選んでもらった時はすごく緊張もしましたが
いざ、試合になったらこの場に居れることが、すごいなんて言うんですか・・・
楽しかったんです。
やっぱりトップチームになるとレベルが全然違うなってすごい感じました。
まとめ

夢だったプロの世界に飛び込んだ周東選手。
後半では周東選手の今後の目標についてお伺いします!
後編もお楽しみに!
後半へ続く
福岡SoftBank HAWKS 周東佑京選手 × 馬原孝浩 氏 スペシャルインタビュー【後編】